プレゼントとわたし

 

 

 

プレゼント。
誰もがにやけてしまうもの。
誕生日、クリスマス、記念日、お土産。
あの、カラフルな包装紙をビリビリに破く瞬間がすごく好きだ。サンタクロースのプレゼントの包装紙になれたら、幸せだなと思う。小さい手から、楽しい気持ちをいっぱい感じられるのだろうか。

 

 

 

高校生の時に2週間だけ付き合った彼氏に、ディズニーチケットをプレゼントされた。
付き合ったのに、あんまり好きじゃなくて、結局ディズニーランドに行くことなく別れてしまった。あのチケット、一体どうしたのだろうか。

 


受験前のゴールデンウィークには、角刈りの数学の先生から、たくさんのプレゼントをもらった。手書きの問題用紙だ。印刷すればいいのにね、と思いながら、先生の文字はいつだって忙しなくて、丸っこくて、不思議とバランスのよい仕上がりだった。宿題なんて欲しくないけど、「プレゼントだかんな〜」って言われたからか、なんだか可笑しな気持ちで問題を解いた。

 


いつだったかの父の日に、初めてお父さんにプレゼントを贈った。会社で使えるように、と、かわいいキャラクターのゴミ箱をあげた。あまりにかわいかったから、会社に持っていかれることはなく、結局わたしの机の足元に置かれた。父もわたしも、ちゃっかりした人である。

 

 

 

プレゼントを選ぶのがすごく好きだ。
それと、お洒落な包装紙をチラチラ見ながら買い物から帰る感じも、すごく好きだ。

 

 

 

 

 

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わたしは今、東京で働きながら、Airbnb のホストをやっている。もうすぐで2年が経つ。この2年間、500組くらいのゲストさんと一緒に暮らしてきた。ハイシーズンはほぼ毎日ゲストさんがいらっしゃるし、閑散期の寒い季節でも、パラパラ予約は入るから、もうわたしの暮らしにゲストさんがいるのが、当たり前になった。

 


そんな日常の中で、ゲストさんからプレゼントをいただくことが、何度かあった。

 


溶かすとカラフルになる粉ジュース、パンダのぬいぐるみ、シンガポールコーヒー、かわいいお菓子に、お茶。

 

 

 

旅行の荷物をいっぱい持っていかないといけない中、わざわざお土産を買って、荷物を増やしちゃうなんて。
今までもらったり贈ったりしたプレゼントとは、少し全然違う嬉しさを、毎回感じる。

 


なんだろう、どうして用意してくれたんだろうとか、どんな気持ちでプレゼントを買ってくれたのだろうとか、面倒くさくなかったのだろうか、とか、そんなことを考えていると、だんだん頭があがらなくなってしまう。

大好きな友達、大切な家族、恋人にプレゼントを渡したい、喜んだ顔を見たい、というのとは全然違うのだ。
初めて訪れる国の、見知らぬ人、しかも自分がお金を払って泊まる宿のスタッフに、プレゼントを贈ろうという気持ち、すごいなぁと思う。

 


今まで、素敵な人になりたいとは思ってきたけれど、”立派な人”になりたいと、思ったことがなかった。
厳密にいうと、そう、心の底から思ったことはなかった。
立派な人というのは、憧れであり、わたしとはまるで関係のないところにいる人のことだと思っていた。

 


でも、各国のゲストさんからプレゼントをいただく度に、彼らのようになりたいと、思った。

彼らが、旅行前に家の近くのスーパーに行って、まるで親戚の子どもにお菓子を買ってあげたり、久々に会う友だちにちょいと雑貨を選んであげるように、当たり前に見知らぬ人に贈り物をするような、そんな人になりたい。
そんな人であってみたい。

 

 

 

 

 

 

立派な人というのは、太陽みたいな人じゃなくて、もっと小さくて、目立たなくて、しとやかで、だけど人の心にきゅっと触れるような行動を、言葉を、贈ることができる人なんだ。

 

 

 

 

 

 

この文書を、どうやって終わらそうかと思った。

わたしは、わたしたちは、今何ができるだろうか。

という問いを、投げかけるのは、やめた。

 

 

 

やりたいこと、夢、希望。
できたら全て叶えたい、と思う。
だけど、叶わない夢や希望もきっとある。
中々なれない私、なりたかった私は、年をとればとるほど、増えていくのだろうか。

 

 

 

時は無情に流れるし、
面倒くさがりな自分は、何かにつけて、まあいいかと思うし、
忘れっぽいのは、物心ついたころからなおってない。

 


だから、というのもおかしいけれど、何かのタイミングで、何処かの誰かに、この気持ちを贈ることができたらいいな。

 


一人、願い事を書いた短冊を、ゆれる笹にそっとくくりつけるように、筆を置きたい。