ゆいこの、徒然なるままに

~ ひとと自然に寄り添った暮らしを、ゆるりと ~

自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ 〜「この世界の片隅に」を観て

ムカムカしたり、どこか遠くへ逃げたくなったり、逃げたい自分からさらに逃げたくなってそんな自分にまたムカムカしたり。




「環境や他人のせいにするな」なんてよく言うけれど、



だいたい他人と環境のせいだ。





他人と環境のせいにして、どろっとした感情を外に向けると、ボディーブローのように自分にそのまんまかえってくる。




「私たちは不完全だから」、なんて言葉で片付けたくはない。
とはいえ、そう完全な人間に、中々なれるものでもない。







「あらゆる出来事や人に感謝しなさい」

「周りや環境のせいにせず、自分を変えなさい」





そんな「スゴイ理屈」は、間違いはないのだけど、なんだか不自然だ。





怒りは「感情の蓋」と呼ばれるらしいのだけれど、その下に隠されたものたちに更に蓋をして、理屈を体現するのに必死な人がいる。


スゴイ理屈で頭でっかちになって、それが全てになっている人がいる。





そんな人たちは、言動がちぐはぐしていて、目の前の人の声が聞こえないまま話しをするから、とても気持ち悪い。







そしてこれは、どこかの誰かの話ではなくて、




あなたの話であり、




わたしの話だ。






この世界の片隅に」という映画を観た。






おっとりかわいい主人公のすずと、その周りの人たちの「小さな普通」が、戦争によってだんだんと奪われていく。




そんな中、少しの努力と工夫とコミュニケーションを重ねて、彼女は自分の居場所と価値観を必死で守ろうとする。




そんなお話しだ。





「歴史は繰り返す」



というけれど、当時の生きてた人間と私たちは、根本的には何も変わらないのだと思う。






戦争なんて、ただの人間の営みだ。




人間が誕生したときから今まで、一人一人の中で、絶えずに起きている。




(実際の)戦争は、見えて聞こえて、心と体にも痛みを伴うが、小さな戦争はあまりに小さくて見えにくく、痛みに気付きにくい。





違いはそれだけで、


怒りの蓋の中にいるどろっとしたものたちを無視していると、あっという間に「自分」を奪っていく。






ムカムカするときは、ひたすらムカムカして、
周りや他人のせいにしたいときは思い存分周りや他人のせいにして、
自分最悪だと思うときは思いっきり落ちる。




そんなことを何百何千と繰り返す下らない毎日も、悪くない。






小さな戦争の中で、小さな努力と工夫とコミュニケーションをたくさんたくさん積み重ねて、


スゴイ理屈を、自分だけの本物にしていけたらいい。





yuico *