( piece of nothing* 002 ) 断片的な世界の上で、私たちは

久々に実家に帰って、とても居心地の悪さを感じた。

「いってきます」と「ただいま」を数え切れないほど繰り返した「おうち」から、どんどん「実家」になっていくのだな、という事実を、そっと受け止めたお正月だった。





久々に長らくな人と再会して、あまりにも「相変わらず」で、脱帽し、そしてなんだかほっとした。

「相変わらずだねぇ」と笑えることが、何ととおといことなんだろうと思いつつ、ふと、この人の目には私はどううつっているのだろう、とか思ったお正月だった。







「断片的な出会いで語られてきた断片的な人生の記録を、それがそのままその人の人生だと、あるいはそれがそのままその人が属する集団の運命だと、一般化し、全体化することは、一つの暴力である」

(「断片的なものの社会学」本文より)





例えば、同僚や一緒に住んでいる人が、最近太ったとか痩せたとかという変化を、私たちはあまり気づけないけれど、久々にあった友だちだと、当たり前に、すぐに気づく。




家族、親戚、恋人、夫婦、大切な友だち。

近くにいたり、大切な人であればあるほど、「いま、私が見ているのは、この人の断片なんだ」ということを忘れがちだ。






ー 私と一緒に過ごしていなかった過去の、過ごしていない今の、ながい時間、この人はどんな暮らしを送っていて、どんなことを想ってきたのだろう。


そんなことをしっかり俯瞰して、主体的に関わりを築いていけることを、「成長する」とか「大人になる」とか、呼ぶのかもしれない。





yuico *