忘れものを、取りに
夜の鎌倉の街を歩いてる。昼間はたくさんの人で賑わう街も、今は誰もいない。
寝静まった建物たち。
まっすぐに伸びた道路。
もっさり顔を出す黒い山々。
潮の匂い。鼻の奥がくすぐったい。
スーッと息を吸い込むと、土のいい匂いが、私の中に入ってくる。ひんやりして、夜空に抱きしめられているような気持ちになる。
人々の手によって作られたと思っていた街は、ほんとうは、土や、水や、山々でできていた。
大きな大きな自然の配下で、私たちは暮らしているんだ。
なんだか疲れたなぁ。
ちょっとストレスフルな1日だった。
気持ちがいいなぁ。
こうやって、一歩、一歩踏みしめるだけで、今ココにいるだけで、なんだかすごく幸せだ。
よく「人のせいにするな」とか「環境のせいにするな」とかいう人がいる。
わたしも、そう思う。
だけど同時に、強烈に思うのだ。
自分の考えや行動は、あまりにも人のせいだし、環境のせいだと。
誰かの一言で、とても幸せになったり、とても悔しくなったり、とても悲しくなったり、とても怒ったりする。
自分が属する組織の文化の当たり前が、いつの間にか、自分の中の当たり前になる。
一緒にいる人に、何となく似てくる。
「人のせいにするな」「環境のせいにするな」と、何の疑いもなく言っている人がいたら、あなたは本当に人間なのですか、と言いたくなる。
だって、私たちの考え方も行動も全て人のせいであり、環境のせいであり、それがいいように働くと「おかげさまで」と頭を下げ、うまくいかないと「いやでも、わたしが悪かったから」と口では言いながらも、どこか心の中で「人のせい」にし「環境のせい」にしている。
なのに、わたしは「人のせいにするな」「環境のせいにするな」という意味を、ちゃんと理解している。
なんでなんだろう。
3ヶ月前に転職をした。全く新しい環境で、新しい仕事をしている。
今、わたしは、なりたい自分がいっぱいいるし、ありたい自分がいっぱいいるし、やらないといけないことがいっぱいある。
ココとはどこか別の場所に行って、今とは別の自分になることを想像する。 それをしっかりと実現するために、目標を立てて、気が遠くなりながらひたすら仕事に取り組む。
すごく刺激的で楽しいけど、同じくらいつらい。
どうしてこれができなんだろうと、要領が悪い自分が本当にムカムカしてくる。
やりたいことがあるのに、やる気が起きない自分。あんまりできていない自分。
現実と理想のギャップを目の当たりにする。
そして、誰かと比べる。
何でもないようなふりして、誰かの一言で、心の端くれでは一喜一憂している。いつも、相対評価を気にしている。
わたしって、どうして、人と比べて落ち込んでいるんだろうって、どうしてこんなに負けず嫌いなんだろうって思う。
「人や周りのせい」で、不安な自分がむくむく生まれ、弱い自分が出来上がる。
こんな面倒くさい性格、ぐちゃっと丸めて、ゴミ箱に放り投げてやりたい。
仕事がおわり、ふにゃふにゃになりながら鎌倉駅から家まで歩いていると、あの夜の匂いがしてくる。
少し止まって深呼吸をする。
ああ。今日も、ちゃんと、気持ちがいい。
そんな時に、わたしは「今ココ」に戻ってくる。
確かに大変だけれど、うまくいかないけれど、立ち止まってみると、美しいものに、拍子抜けるくらいいとも簡単に出会えたりする。。
特に、どこかに行かなくても。何をしなくても。
少し先の未来と、
失敗したり成功したりした過去と、
わたしを取り巻く、他の人たちの言動と。
「今ココ」にいる自分の、前や後ろや、左や右にあるものたちを、あまりにたくさん抱えすぎて、気がつくと「今ココ」をどこかに置いてきてしまいそうになる。
忙しい時こそ、ちょっと休む。
下手にストレス発散するのではなく、木陰に腰掛けるように。
そうすると、うっかり置いてきてしまった忘れものが、戻ってくる気がする。
時々、わたしは夜にふらふら散歩に出かけるようになった。
歩いていると、あの黒い山々が、のんびりと問いかけてきてくれる気がするのだ。
あなたは今、何をしている?
あなたは今、どこにいる?