人とうまくやるなんて、全然重要じゃない

大阪で出会った、タクシーのおっちゃんのことを思い出した。

「キツネうどんや。出汁がうまいんや」

キツネうどんかぁ。

たこ焼きとかじゃないのねぇ。

聞いたことないけど行ってみるかな、なんて、薄汚れた窓からぼーっと大阪の街並みを眺めていたわたしを一切気にすることなく、おっちゃんはよく喋る。

美味しいごはん屋さんを聞きたかっただけなのに、乗っている30分くらい、喋り続けていた。

 

それが、おっちゃんの渾身のボケだったのではないかと気づいたのは、タクシーを降りてしばらく経ってからだった。

 

うわぁ、ツッコめばよかった…。

おっちゃんは、ツッコまれることを期待していたのかもしれない。

30分間ツッコまれずボケ続けたおっちゃんは、どんな気持ちだったのだろう。

少し申し訳なく思うけれど、もしかしたら、ツッコまれないことに対して、何も考えていないのかもしれないなとも思った。

何も考えずに、タクシーのお客さんや、友だちや家族、おしゃべりする人すべてに、ひたすらボケまくっているのかもしれない。

いや、きっとそうだ、と思った。

 

 

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いつからか、

「人と仲良くなるのがうまいよね」

「誰とでもうまくやれるよね」と、言われることが多くなった。

 

そうかなあ、なんて照れ笑いしながら、すごい違和感を覚える。

そういわれる度、それとは抜本的に違う「わたし」が、浮き彫りになる。

 

誰とでも、って、一体誰のことを指しているのだろう。

仲良くなれるって、一体どういう状態なんだろう。

よくわからない。

 

人と仲良くなる、うまくやることがどうとか、わたしにとって、あまり重要じゃないのかもしれない。

積極的に人と仲良くなろうとか、うまくやろうとか、思ってないのかもしれない、とすら思えてくる。

だって、わたしが本当に人と仲良くなるのがうまいのであれば、ちゃんとおっちゃんのボケにツッコんでいただろう。

 

 

 

 

FacebookInstagram に、いいねしたり、コメントをいっぱいできる人は、なんかすごいと思う。

いいねと思っても、なんとなくやり過ごしてしまう。

その人のアカウントへ遊びにいっても、いいねもコメントも基本的にしない。

元気かなぁと、思うだけだ。

わたしのケータイの中には、多分、一生メールも電話もしない人たちが、たくさんいる。

彼らの連絡先を少し眺めてみる。

そのうち、顔や名前を忘れてしまうんだろうなぁ。

 

でも、何故だろう、それでよいと思うのだ。

顔や名前を覚えているとか覚えていないとか、一緒に過ごした時間の長さとか、重ねた言葉の深さとか、そんなに重要じゃない。

少なくとも、私にとってはそんなに重要じゃなかった。

 

 


わたしにとっての「人間関係」は、ちょっと変わっているかもしれない。

 


おかしいかもしれないけれど、わたしは自分のことを、いろんな人の欠片をかき集めてつくった生き物のようだと思うのだ。

 

 

知らない曲を口ずさんでいて、ああ、これ、あの人が好きな曲か、なんて気付く。

あの子、あんなかわいいのになぜか芋けんぴにハマってたなぁと思い出して、セブンイレブン芋けんぴを買う。

駅のホームに立っているとどこからか香水がふわっと香って、誰かの香りだ、誰だ誰だと、頭を抱えて一生懸命思い出したりする。

仕事で資料を作るとき、昔好きだった先輩の色を、ベース色にしてみる。

コーヒーを飲むときは、最後の1口だけお砂糖を目いっぱい入れて飲む、これはあの人からいただいた飲み方。

きつねうどんといえば、大阪やで、と一つ覚えみたいに人にすすめる日も、きっとくる。

 

 

人は、必ず何かを人に求める。

わたしが求めているものは、その人の世界観を構成する、一つ一つの細胞のようなものだ。

日々の暮らしの中で出会う、あの人、あの子、あいつ。

彼ら一人一人の世界観が、どんどんわたしの一部になっていく。

わたしの中で、生きはじめる。

そして、あまり会わなくなって、ずっと忘れたころに、偶然何かをきっかけにひょこっと出てくる。ああ、君と関わった時間がほんとにあったんだよな、と、その「本当」を想わせてくれるのだ。

それがすごく素敵で、それが、わたしの人間関係の全てなのだ。

だから、その人とすぐに仲良くなるとか、うまくやるとか、全然重要じゃない。

ひたすら、今、目の前にいる人の、アイデンティティを、独特な目線を、感性を、特徴を、特別を、習慣を、話し方を、しぐさを、可笑しな癖を、自分のものにするという、ある種の作業を、ずっとずっと行っている。

 

それは、新しい本を衝動的に買って、むさぼるように電車で読んだり、

雨の日に誰にも会わずに家に引きこもって映画を一日中見たり、

たまたま出会った音楽が最高で、擦り切れるんじゃないかと思うくらいリピートしてを聴いたりするのと、同じような感覚かもしれない。

 

 

 

 

 


「人と仲良くなるのがうまいよね」と、これからも言われて、きっとニコニコしながらタジタジするんだろう。

タジタジしながら、いま私が書いていることを、伝えられるかな。

うまく伝えられたらいいな、と思う。

 

 

 

 

あのタクシーのおっちゃんは、元気にしているだろうか。

きっともう会うことはないだろうけれど。

今日も元気に達者に、大阪に遊びにきたお客さんにボケまくっているだろうか。