ゆいこの、徒然なるままに

~ ひとと自然に寄り添った暮らしを、ゆるりと ~

ご利益がすごい、わたしのお守りのつくり方

 

 

5月は、どこか切ない。
こんなにも空は高いのに、外に出るのがなんだか億劫なのだ。
その日もお昼過ぎに、芋虫のようにむくむく起きて、桜のバスソルトを放り投げたお風呂に、たっぷりと時間をかけて浸る。
髪の毛をパサパサふいてから、さてと、と、パソコンを開いた。

 

「容量がいっぱいです」

 

そりゃそうだ。
パソコンには、5000枚程の写真が入っている。
ものの断捨離は大得意なのだけど、写真はどうしても捨てられない。
少し消そうかなと見返しては、いつの間にか、思い出に浸ってしまうのだ。

 

 

人生初めての、バックパッカー旅の写真。

インドネシアのギラギラした太陽の下、容赦なくぬかるむ泥道を、相方と無言で歩いたっけ。

臭い旅になぜか魅了され、いつの間にか、しっかり旅好きの仲間入りをしていた。

かつて住んでいた、シェアハウスでの誕生日パーティーの集合写真。

この場所で、深夜まで語り明かした。

まさか、こんなにも長いお付き合いになるとは、思いもしなかったなぁ。

 

 

愛おしい日々が、色とりどりに切り取られている。
それら一枚一枚を眺めていると、あっという間に1時間、2時間、経ってしまう……。

 

 

 

 

そうだ、いらない写真を消そうとしていたんだった。
大事な写真だけ残して、削除ボタンをクリックした。
いらない写真だけ、消したと思った。
目を疑った。
消えていた。
全部、消えていた。
全部、消してしまったのだ。

小学生の時、飼っていたカブトムシが、ある朝見たら動かなくなっていた。

陽がいっぱい入ってくる、小さなベランダでひとり、悲しさともいえない気持ちが胸に疼いた。

からっぽのパソコンを目の前にした今、あの時と、とても似た気持ちになる。

まぁいっか。

そう、思えなかった。

数分前には、わたしの記憶と感情を、大なり小なりを揺さぶっていた写真たちが、今、ない。

自分の一部を、失くしたような気分だった。

ああもう、バカだなぁ……。

5月は、どこか切ない。

 

 

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わたしたちは意識せずとも、忘れたくない景色を目の前にした時に、シャッターを押すのだと思う。

そして、いつか見返した時に、その景色をファインダー越しに覗いていた自分に、タイムスリップする。

楽しかった、嬉しかった、悲しかった、嫌だった、悔しかった……。

ずっと忘れていた、その時の感情全てが、一瞬、蘇えるのだ。

そうして、かつて、ただ心の声に任せてパシャパシャ撮った写真に、自らの手で、小さな神様を宿す。

ワインを長く熟成させるように、時が経てば経つほど、かけがえのないものになっていくのだ。

だからなのだろう。

毎日寝る前に、必ずお気に入りの音楽を聞くように、

お休みの朝は、たっぷりお風呂に浸かるように、

いつからか、気分が落ち込む時は、古い写真を眺めるようになった。

 

 

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人間の記憶はどんどん美化されていくけれど、写真は、絶対に嘘をつかない。
楽しかったことはもちろん、

思い出したくもない、記憶から抹消していたことも、

恥ずかしくて目を背けたくなることも、

日常のほんの一コマでさえ、くっきりと写す。
写真は、絶対に嘘をつかない。

そんな、写真が持つ堅実さが、きっとわたしの心を落ち着かせてくれていた。

 

 

今、わたしの精神安定剤とも言える、たくさんの写真を失ってしまった。

しっかり、ぽっかり空いているパソコンの容量が、まるで、わたしの不安感を表しているようだ。

 

 

「不安って、なんで不安なのか知ってる?」
友だちに聞かれたことがあった。
「不安って、正体がわからないから不安なんだって。お化けもそうでしょ。見えない、わからないものに対して、人間は不安を感じるんだって」

 

未来は、見えないし、わからない。

だから、人はいつでも不安になる。

特に、わたしは、ゆらゆら揺れる水面のように、色々なものに流される。

いつも、しなやかにいられる反面、不安定にもなりやすい。

体温により近くなった、初夏のぬるい風が、どこからか気怠さを運んでくる。

ああ、わたしは一体、どこへ向かっているのだろうか。

小さな不安が、少し大きな不安を生み、それがもう少し大きな不安を生む。

そんな不安の連鎖を、一つ一つ消すために、わたしは時折、過去の写真を眺めるのだ。

やっぱり、5月は、どこか切ない。

 

 

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過去にすがっても、未来は変わらない。

人はよく言う。

写真を引っ張り出しては、だらだらと過去を振り返ることは、未来からの逃避行なのかもしれない。
でも、一つ確かなのは、キラキラした楽しかった自分も、とてつもなくダサかった自分も、一つでも欠けていたら、今の自分はきっとない。
写真を見て、過去の自分を肯定することで、未来の自分も、何だか信じられるような気がするのだ。

 

 

きっと写真は、わたしにとって、未来の自分へのお守りなのだ。
人生、山あり谷あり。

このお守りは、山あり谷ありを歩んできた過去の自分を、はっきりと再確認させてくれる。

未来のわたしに、力強くエールを送ってくれる。

だから、いつか撮った写真に、未来のわたしへの願いを込めるのだ。

健康祈願。
商売繁盛。
恋愛成就。
縁結び。
安産祈願。
家内安全。

どうか、素敵な未来をつくれますように……。

 

 

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よし、髪の毛を軽く乾かしたら、出かけよう。

お守りがないのだったら、今日から新しいお守りをつくっていけばいい。

そしてまた、疲れて、立ち止まる日が来る。

ぎゅっと力を入れて握っていた手を、ゆっくり広げたその時に、新しいお守りをたくさん持っていたことを、思い出すだろう。

それらが、いつかのわたしの背中を、そっと押してくれるはずだ。

 

 

26歳。

人生まだ3分の1、なのだろうか。

それとも、もう3分の1、なのだろうか。

わたしの未来は、5月の澄み切った空のように、果てしなく広がっている。

玄関を一歩踏み出して、思いっきり深呼吸してみる。

ふわふわ浮かぶ白い雲が、何とも気持ちよさそうだ。

きっと、大丈夫。

きっと、大丈夫。

カメラを通して映す、小さな神様たちが、未来のわたしをいつも見守ってくれるから。

きっと、大丈夫。

もう一度、小さく呟いた。

 

 

yuico*

 

(天狼院ライティング・ゼミ 課題記事より 2017.5.8)