わたしの家族の話 〜「自分がわからない」からはじまる


「ゆいちゃんは、自分の心に鈍感だ」

 

 

そんなフィードバックをもらった。

 

 

振り返ってみて、「自分のわからなさ」を思った。

そう、たまに「自分が思ってる、感じてることが、よくわかんない」ことがある。

 

 

 

 

 

「やりたいことはこれー!」って、楽しいことが降ってきたり、

 

これからやろうという時に、ふっとやりたくなくなったり

 

なんかのスイッチが入って、「どうでもいいや」って投げやってしまいたくなったり、

 

ちょっとした会話に、ザワザワ違和感を感じて一人になりたくなったり、

 

悲しくて耽ってしまうとき、ふとなんで悲しいのかわかんなくなったり。

 

 

 

 

 

 

こういう類のことは、誰でもあって、出来事としては、なんてこともないんだけど

 

 

ただ、予測不可能なこと、そして「自分がわかんない」という状況はもうそろそろ、サヨナラしたいなって思う。

 

 

お母さんの病状(全般的な精神疾患)が、悪くなってきて、この間、はじめて家族会議をした。

 

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病気が病気なため、取り扱いが本当に難しいよねって話になって、

 

気がついたら、「お母さん」を主語にして、遠い遠い昔から、お父さん・お兄ちゃん・わたしのサイドから見てきた家族の景色を、出して出して出しまくって、3人で俯瞰する、という、とても不思議なことをしていた。

 

みんなでタイムリープして、辻褄合わせをしてる、みたいな感覚だった。

 

 

その中で、一番驚いたことが、お兄ちゃんが見ていた「家族」と、わたしが見ていた「家族」が、全く違うことだった。

 

 

「うちは変な家だった」

 

と彼は、何度も何度も言って、

まるで他人事みたいに、自分が傷ついた話しをしていた。

 

 

お兄ちゃんの、家族についての語りを聞いたのは初めてで、「そんなこと思ってたんだ!」と、びっくりしながらも、

わたしはというと、「そんなこともあったね〜(笑)」てな調子で、隣でケラケラ笑っていた。あるある話しを聞いてるみたいな感覚だった。

 

 

 

 

振り返ると確かに、多少なり子どもとして傷つくだろうことが起こっていて、その景色はちゃんと覚えている。

 

 

のだけど、そのときどう感じていたか、その感覚はなぜか、すっぽり忘れている。

 

 

 

すごくこわいな、と思った。

 

 

 

忘れているむかしの感情たちが、わたしの「自分がわかんない」の一部をつくっていたら、その正体って一体何なのだろう ー

 

 

 

 

「家族は、その人の世界」といっても過言ではないくらい、強烈につながっている。

 

 

それが家族一人一人の幸せであることもたくさんあり、

時に、それが家族のだれかの不幸せになることもある。

 

 

うちは確かに、後者が目立つかもしれない。

(もちろん、楽しい思い出もシアワセな瞬間もたくさんあった、というかわたしはそっちの方が色濃く覚えてる)

 

 

傷ついた時に、(とても大げさにいうと)加害者・被害者という認識になりがちだけど、実は、誰も、微塵も、「傷つけてやろう」なんて思っていない。

 

 

だって、ふたをそっと開けてみたら、

 

  「ただ、見て欲しい」

  「ただ、気づいて欲しい」

  「ただ、認めて欲しい」

 

 

そんな子どもみたいな、かわいい感情が、埋めいている。

 

 

そして、そいつらが重なりあって、重なりあって重なりあって、見えなくなっちゃって、ただすれ違い続けてしまう。

 

 

そんなことが、うちの中で起きていたことを、知った。

(これこそ、あるある話しな気がする 笑)

 

 

たぶん、「本当の迷子」って、迷子であることを気づいていないことだと思う。

 

 

そういう意味では、今のわたしはちゃんと「迷子」だけど、もう「本当の迷子」ではないのだと思う。

 

 

 

お母さんの病状はどうなるかわかんないけど、

みんながそれぞれ、迷子だと自覚してはじめて、新しい家族の道にすすんでいくのだろう。

 

 

それがどうか、愛のある道でありますように。

 

 

 

 

yuico*